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数十年にわたり雑誌『潮』を購読してきました。しかし、売り上げ不振を助けるためか、7、8年前から本部による「買い上げ」と、組織を通じての無償配布が行われるようになり、それと同時に掲載される記事もプロパガンダ臭の強い機関誌然とした内容が目立つようになりました。以来、読む気もなくなり、ここ数年は代わりに岩波書店発行の『世界』を手に取ることが常となっています。
今日8日発売の、その『世界』2012年1月号を購入し、中野潤氏による《再び「政治の季節」を迎えた創価学会》と題された記事を読みました。相当な取材を重ねたと思われる13ページに及ぶレポートです。これだけ詳細な記事が書けるのは、“信濃町”の中にそれなりの情報提供者がいるということでもありましょう。機会があれば一読をおすすめします。
悪意を込めて、興味本位で書かれたものではなく、冷静に国内政治の動向を見据えたうえでつづられた内容にはうなずかざるを得ません。と同時に、いまや創価学会という存在が、肝心の哲学や宗教という次元ではなく、権謀術数の渦巻く政治権力の世界とセットでしか語られないことに、暗澹たる思いを抱かざるを得ないというのが正直なところです。
信濃町が、極悪人の巣窟であるとまでは断定しません。また、正本堂建立のための御供養金が予想外に舞い込んだことで学会首脳が変質したという意見は、反逆者とされる元教学部長の原島氏もどこかで述懐していたように記憶します。真偽はともかく、“貧・病”に苦しむ哀れな人間集団と思われていた庶民の組織が、社会を驚かせるほどのパワーをさまざまな場面で発揮してきたことは、内外ともに認めるところであり、それがまさに信仰の力というものでしょう。反面、そのパワーをビジネスに利用しようと考える不埒な連中が中枢に現れたとしても不思議ではありません。
「師弟不二」という文言を、問答無用の上下関係であるかのように曲解させる風潮には警戒する必要があります。色心不二や依正不二などと同様に、不二とは、渾然一体となった不可分の関係性を意味するのであり、いわば、世間的上下関係とは全く異なる、水平的平等思想とも呼びうる観念ととらえるべきなのです。
例えば大聖人が、竜の口の法難に同道した四条金吾に、「設(たと)い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし」(p.1173)と書き送って、どこまでも師と弟子は一体であることを示しています。ここに師弟不二の真髄が表されていると考えます。
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