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事業というものは

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 7月 3日(金)19時17分41秒 218.231.75.200.eo.eaccess.ne.jp
  先ず、とにかく「予算」つまり「お金」が無いと実現できませんから、
何かをしようと考えると、役人達は予算の獲得に全力を挙げます。
それは事業を滞りなく行うことに是非とも必要な事ではあるのですが、
いつの間にか「目的」が何処かへ置き去られ、
いかに「予算を多く分捕るか」そして又、手に入れた予算を「如何に使い切るか」という事に腐心するようになってしまいました。
本末転倒とは、正に、この事なのですが、
本来、行政・自治体の行動を監視・管理する立場の議会が、
これまた何をかいわんや、の有様ですから……、国の借金が増え続けるのでしょうね。
 

官ではなくて民

 投稿者:丸谷オタク  投稿日:2009年 7月 3日(金)17時46分2秒 J059034.ppp.dion.ne.jp
  いつやらお話しましたように、町の将来についての座談会などといいながらも、行政が主催するとまず結論ありきで、司会者はそれに向かって誘導する。私が出た際は、歴史学者、直木賞候補作家、それに私などという、どんなに圧力かけても決して臍がまっすぐにならない奴らがいましたから、行政の思い通りにならなかった。最初から彼らにとってはミスキャストだったんでしょう。

いつやらは河川改修に伴う河川敷の利用法などという会のメンバーにも借り出された。ところが行政が言い出したのは「多自然型河川」を目指すというもの。私が河川などというものは本来自然な水の流れである。そして自然というものは種々雑多なものが入り混じった集合体を指す。私には「多自然型」などという最初から自己矛盾する言葉を誰がいったい何を考えて提唱したのか全く理解に苦しむ。

直後にメンバーの一人である京都大学理学部生物学科出身の元県立高校校長氏曰く、私も全く同感だ。多自然型なんて英語に訳したらどんな訳になるのか。馬鹿な言葉で飾り立てず、住民にとって河川敷をどうしたらいいのか、アンケートでもとったらどうか云々。これまた私と校長の二人がミスキャストだったんでしょう。ほかの人達はいつも行政の諮問委員会の常連さんだから沈黙するばかり。結局、アンケートすることになって会は解散。

そのほか、町づくり研究会というのにも呼ばれましたが、行政主導と分かって固辞。最後に声をかけられたのは図書館を作る会。これだけは完全に民でしたから、家内に町議会だよりに、行政の文化行政に対するお粗末きわまる姿勢をこっぴどく批判させたりしました。結果、実に立派な図書館ができた。

行政主導からは何も生まれません。民の力こそ真の力です。行政の長たるものには選挙がありますから、最初から民から生まれた力が一番の脅威です。だから、その前に諮問委員会を作って行政主導にしたいのでしょうが、流石にこれまで同じメンバーでやりすぎてきたので、もう誰もだまされない時代になりつつあります。少しは成熟国家に近づいた?
 

月岑は

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 7月 3日(金)12時30分49秒 218.231.75.200.eo.eaccess.ne.jp
編集済
  神田雉子町の名主を務める一方で、地誌「江戸名所図会」を著しています。
同じような名主の家は三十余り在ったそうなので、
何処かの蔵から、
未知の文献が発見されはしないものかと期待したことがありました。
先の大戦の折には、各地へ疎開された家も多かったと思いますから、
江戸の資料が、意外な場所から「発掘」されるかも知れません。
 

門前仲町、月島、佃島、下谷、そして神楽坂

 投稿者:丸谷オタク  投稿日:2009年 7月 3日(金)11時11分59秒 J059034.ppp.dion.ne.jp
  そんな次第で私は、西麻布、六本木、赤坂、銀座だって嫌いじゃありませんが、その一方で江戸の風情のこす門前仲町、月島、佃島、下谷なども大好きです。浅草もいいのですが、外人観光客が増えすぎてちょっと観光ずれ気味かな。

後はですね、いま療養の都合で文京区と出雲を行ったりきたりですが、神楽坂(新宿区ですが、文京区に隣接するので我が安アパートから徒歩10分)も江戸の風情を残すおしゃれな町です。夕刻になると芸者さんが着物姿で歩く姿が見えますし、神楽坂通りからちょっと路地を入るとこれがまた実にいい。

中でも私が好きなのは本田横丁。、牛鍋屋、おでん屋、和菓子屋、鮨屋、ドジョウ屋、焼き鳥屋、居酒屋、沖縄料理屋、ちょっと高そうな料亭などが路地の両側に所狭しと並んでいます。かつては牛込と呼ばれた地区でドラマ「拝啓、父上様」の舞台となったところ。

私が行くのは無論、安い店。暖簾くぐると「へい、らっしゃい!(いらっしゃいの「い」はサイレントです)」。注文すると「へーい!」。出来てカウンターに置くときには「へい、お待ち!」。カウンターの料理がなくなると「お後は!」。江戸っ子の威勢のいい声がけに、ついつい食べ過ぎてしまいます。
 

写楽のページで

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 7月 3日(金)07時07分34秒 218.231.75.124.eo.eaccess.ne.jp
編集済
  度々、紹介している斎藤月岑という人物も民間人ですが、様々な文化活動を行っています。
彼は「草創名主」と呼ばれる家の当主ですが「草創」の名の通り、徳川家康の関東入部に伴い江戸入りした歴史を持つ旧い家柄を誇ります。
また「草創」名主の一部は、家康よりも早く江戸に入り、農地などを自前で開墾した者も居り、幕府も彼らには一目置いていたとも言われます。
江戸の発展に、町方は大いに寄与していたのです。
 

江戸時代は

 投稿者:あやみ  投稿日:2009年 7月 3日(金)05時43分21秒 dsl.dynamic812157212.ttnet.net.tr
  奇跡の250年ですね。滅せぬもののあるべしや、最後にはその幕をおろし鎖を解きましたが、あまりにも眩しい時代でした。イエズス会の魔の手を断ち切り国に錠をおろし、戦恋しいツワモノどもを宥めすかし、百姓は生かさず殺さず・・・幕府の礎をしっかと築きつつある中で、はたして都市の主役がその後町衆にとってかわることをお上は予想できたでしょうか?
やれ質素倹約、風紀を乱すな、と野暮なお触れが出るたびに、それを逆手に取ってはもっと洗練されたものを生み出してきたのがお江戸の人々。かっこいいなあ。
 

鎖国という「生き方」が

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 7月 2日(木)15時06分16秒 218.231.124.45.eo.eaccess.ne.jp
  この小さな島国に、恩恵を与えたのでしょうか?
将軍のお膝元、お江戸において治安を任されていたのは300名にも満たない役人でした。
これだけの人数で大都市の安全が確保されていたのは、
何より豊かな実力を身につけた町方衆が自分達の「町」を守り支えていたからです。
町方には、お江戸が「自分達のもの」だという自負もあったのでしょう。
その気概が、江戸文化の活力元だと思います。
勿論、地方にも同様の役割を果たした人々が沢山いたのです。
 

江戸時代

 投稿者:丸谷オタク  投稿日:2009年 7月 2日(木)13時24分31秒 J059034.ppp.dion.ne.jp
  これまた偏見というか、むしろ私の嗜好の問題かもしれませんが、江戸時代というのはいいですよね。武士は武士で戦争のない時代にあっても文武両道を貫いて、禄高にみあっった生活をして、自らを律している。

一方の町人はまた自由な雰囲気ある文化を育てていった。今では高級品になった鮨、天麩羅をはじめ、蕎麦、うどん、丼などさまざまな美味しい食し方だって彼らが作り出したものでしょう。

そんな生き方を映画にすれば、日本人だって「古きよき時代」に思いをはせるのですから、欧米人にはそりゃファンタスティックということになるでしょう。今風に言うならクール?
 

偏見なのでしょうが

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 7月 2日(木)12時50分26秒 218.231.124.45.eo.eaccess.ne.jp
  伝え聞く限りでは、こと学問の世界に関して、
江戸期の人々の学びに対する態度の方が、今より余程自由で大らかだったように思います。
若くして(20歳代)師と呼ばれ、多くの弟子を持つ人はざらにいました。
また、武家に限らず、一般人の立場で成果を上げた人も少なくありません。
誰の言葉であったか失念しましたが、

 貴方とは考えを異にするが、貴方の発言する自由を、私は保障する

という最低限の規範を守ることは、実に、簡単に見えて困難なものなのでしょう。
 

出雲人

 投稿者:丸谷オタク  投稿日:2009年 7月 2日(木)11時35分12秒 J059034.ppp.dion.ne.jp
  例の歴史学者氏が同様のことを言っています。出雲は古来、肥えた土地や豊かな水に恵まれていた。そんな豊穣なる土地が富を産み、人々は他の瘠せた土地から移り住もうとする人々を頑強に拒んできた。

結果、出雲では他の地でおこる変化が何ひとつ伝達されず古語が今でも残っている。そして、これは言語だけではない、人柄にも影響している。よく言えば争いを避ける温厚な人格、悪く言えば自己主張をしない没個性的人格。

これは学問にもっとも不向きな性格であって隣国、石見の国は偉人を輩出するが、どうにも出雲からは逸材が出ない。何事も功罪あってしかるべきだが、出雲人の人柄についてはこれからの時代は間違いなく変えていくことが必須である云々。

私なぞはおよそ出雲人らしからぬキャラなので、しっかり自己主張をやってきました。是は是、非は非。ところがどっこい、この地でこれを通すと味方もできるけど、それ以上に敵が増えます。これは明らかに亡父由来のDNA.
 

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