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この掲示板をご覧の皆様で、西田七之助先生が著された「樽井町誌」
をご覧になられた方もたくさんいらっしゃると思うのですが、その中
の五六〇頁から五七一頁に書かれている文章を読まれると、樽井の先
代の神輿は、惣社金熊権現社の中神輿だったんだと思われる方が多い
と思います。実際のところ、私もその内の一人でした。
五六〇頁から五七一頁に書かれている文章は、一部修正していますが
このホームページの樽井の祭禮についての頁の「惣社金熊権現祭と樽
井」と云うところで、ご紹介していますのでご興味ある方は、ご覧に
なって下さい。
その中で抜き書きしますと、「樽井村の祭礼は、惣社金熊権現社の九
月十六日と、村社の八月十八日の二回の祭りがあった。金熊権現社の
祭りは信達荘十三ヶ村の祭りで、大変賑やかなものであった。・・・
・・・本祭りは神輿の渡御と座が主な行事で、前・中・後の
三躰の神輿が、樽井浜に渡御したものである。中神輿は神倭
磐余彦命(神武天皇)の御霊の座す神輿で、これは樽井一ヶ村でかき
、前後二躰の神輿は金峯熊野神の御霊の座す神輿で、これは
残りの十二ヶ村から六名宛出て「寄りがき」することになっていた。
中神輿というのは主神の座す神輿であって、樽井に下る時、
また宮に帰る時も何時も先頭で、坐る時は中央部に坐るので中神輿
といったものである。・・・・・・この古い歴史を持つ権現社の祭
りも、明治維新後の経済事情は惣社、村社二社の維持が困難となり、
その上座の入費に耐えかねる村も多く、惣社をはなれて村社のみと
する村も出来、明治四十三年を最後に中絶してしまったものである。
三躰の神輿も今は一躰の神輿となっているが、いまだに樽井
浜で汐かけ行事を行うことは昔と変わりなく、町民の中には今尚神
輿を拝するものの多いのは、往時の面影を偲ぶ姿のあらわれという
べきである。」と云う事ですが、
では、ご覧頂きましょう↓が惣社金熊権現社の仲(中)神輿です。
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