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惣社金熊権現社の神輿1

 投稿者:「樽井の祭り」管理人  投稿日:2009年 1月10日(土)23時00分46秒
  通報 返信・引用 編集済
  この掲示板をご覧の皆様で、西田七之助先生が著された「樽井町誌」
をご覧になられた方もたくさんいらっしゃると思うのですが、その中
の五六〇頁から五七一頁に書かれている文章を読まれると、樽井の先
代の神輿は、惣社金熊権現社の中神輿だったんだと思われる方が多い
と思います。実際のところ、私もその内の一人でした。

五六〇頁から五七一頁に書かれている文章は、一部修正していますが
このホームページの樽井の祭禮についての頁の「惣社金熊権現祭と樽
井」と云うところで、ご紹介していますのでご興味ある方は、ご覧に
なって下さい。

その中で抜き書きしますと、「樽井村の祭礼は、惣社金熊権現社の九
月十六日と、村社の八月十八日の二回の祭りがあった。金熊権現社の
祭りは信達荘十三ヶ村の祭りで、大変賑やかなものであった。・・・
・・・本祭りは神輿の渡御と座が主な行事で、前・中・後
三躰の神輿が、樽井浜に渡御したものである。中神輿は神倭
磐余彦命(神武天皇)の御霊の座す神輿で、これは樽井一ヶ村でかき
前後二躰の神輿は金峯熊野神の御霊の座す神輿で、これは
残りの十二ヶ村から六名宛出て「寄りがき」することになっていた。
中神輿というのは主神の座す神輿であって、樽井に下る時、
また宮に帰る時も何時も先頭で、坐る時は中央部に坐るので中神輿
といったものである。・・・・・・この古い歴史を持つ権現社の祭
りも、明治維新後の経済事情は惣社、村社二社の維持が困難となり、
その上座の入費に耐えかねる村も多く、惣社をはなれて村社のみと
する村も出来、明治四十三年を最後に中絶してしまったものである。
三躰の神輿も今は一躰の神輿となっているが、いまだに樽井
浜で汐かけ行事を行うことは昔と変わりなく、町民の中には今尚神
輿を拝するものの多いのは、往時の面影を偲ぶ姿のあらわれという
べきである。」と云う事ですが、

では、ご覧頂きましょう↓が惣社金熊権現社の仲(中)神輿です。

 
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